へーびーろーてーしょん

とあるアミュオタの思うこと考えることをつらつらと。全てイチ個人の意見です。

colcoring musical 『Indigo Tomato』🍅 不完全を肯定する物語。

 まだ大阪公演が残っていますがmy楽は終わったしぼちぼち感想まとめ。本当に素晴らしいミュージカルだから大阪迷ってる人がいたら絶対に行ってほしい。一人でも多くの人に届いてほしいミュージカル。本も演者も曲も歌も舞台装置も照明も生演奏ももう何もかも最高だから。贅沢。サヴァン症候群を扱ってこそいるけど、描いているのは人間の持つ普遍的なものだと思うし。そしてひたすらに推しがすさまじく素晴らしい!東京公演は1週間の間で口コミが広がって座席余ってたところから立ち見まで出るほどになったので!良作だっていう何よりもの証拠。ブリーゼ、埋まりますように。。。!

では以下ネタバレ有です。

 

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 3回目でようやく気付いた。この物語は、「タカシが自分を肯定できるようになる話」だと。

 M1『π / My Map』から始まるOP。円周率の世界、数字の世界にいるタカシは、とても幸せそうで。私たちに見えない世界がそこには確かに存在していた。あの世界は、タカシがタカシでいられる居場所なのだろうなと思う。タカシには、目に映る景色がどんなふうに見えているのだろうか。数字はどんな色形を、周りの人々の声はどんな色をしているのだろう。見てみたいなあと思う。

いわゆる「見える世界」である社会は、タカシには合わない場所。曲中でガラッと”現実”に変わってからは、ただただ胸がギュッと苦しい。「僕は 異星人」と歌う声が表情が頭にこだましている。「生まれた時から、ずっと、居心地が悪いんだ」と後からタカシが表現していたけれど、初めてこの表現を聞いたとき、グサッときた。居心地が悪いってよくあることかもしれないけど、生きていかねばならない社会そのものの居心地が悪いというのは、とってもとっても生きづらい。ずっと、苦しい。基本がスタートが苦しい。タカシに数字の世界という居心地の良い場所や円周率という親友がいてくれてよかったと心から思う。もしそうじゃなきゃ、苦しすぎるよ、生きていけないよ。

 

でも、タカシが一切笑わない理由はすぐにはわからなかった。人はどんなに苦しくても、決して笑わないなんてことはないんじゃないかと思っていた。でも、3回目でようやくわかったのだ。タカシがずっと笑えなかったのは、いつしか自分を肯定できなくなっていたからではないか、と。ずっと居心地が悪くて、自分は「異星人」だと感じて、自分を認めてあげることができなくなって、自分を肯定できずにいたのではないだろうか。だから、笑えなかった。

異星人、といえば、ユーゴも自分のことをそう表してたわけだけども、同じ「異星人」でもタカシは自分の内に引きこもるタイプ、ユーゴは環境や周りを見返してやろうと外で大成功を目指すタイプ、と対照的なのがうまいなあと思った。似た者同士の正反対な2人。

ユーゴ然りローラさん然りアヤさん然り、障がいだけじゃなく、国籍性別シングルマザー、そしてその家族、といった具合にいろいろな「居心地の悪い人」の姿を描写してたのもすごくよかったなあ。

 

 

タカシはずっと自分を肯定してあげることができなかったけど劇中の日々を通して、

・自分は母や弟に愛されていて、周りにはあたたかく接してくれる人もいる(①)

ということを初めて認識・理解できたのと、

・自分の壁を超える大きな挑戦を成し遂げた(②)

という経験が重なって初めて自分を肯定することができ、笑うことができたのかな、と。「僕は異星人、だけどそれでいい」と、思えるようになったのではないかな。

 

①について。数字や声の色は見えても、愛は見えない。人の気持ちを推し量るのが苦手なタカシにとって、愛は感じにくいものだったのだろう。正直、お母さんの「夢を見れる子」という言葉が自分の中でなかなか腑に落ち切らなかったのだけれど、好子さんの言葉通り、「夢を見れる子」=お母さんが子どもたちを愛していた、ってことなんだなあと3回目でなぜかやっとしっくりきた。(もちろんもっと深い意味のある言葉だとは思うのだけど、一旦置いておく。別でまとめられたらいいな。というかお母さんについて自体もっと考えたいので別で書きたいなあ。かっこう、かっこう、書っこう…← いや、こんな風に茶化しちゃいけないレベルでこの歌凄まじかったです、かっこう、のフレーズが劇中で最も頭に焼き付いてこびりついて離れません…)なんだろう、お母さんが二人を肯定していた・愛していた証の言葉なんだなあ、と、納得できたという感じ。この言葉はタカシだけでなくマモルも肯定してくれたのがまた良き。マモルはお母さんの記憶もなければ兄の愛にも気が付いていなかったから、①に関してはマモルの中でも欠けていたところだったのだろうと思う。タカシもマモルも前を向けたのが、すごく嬉しい。

この物語のすごいところだなあと感じるのは、二人の幼い子を捨ててしまった母でさえ肯定している、というか否定していないこと。ローズさんの歌、深い。愛でさえ心を縛ることはできない。あ、一人で何役も演じる意味がとっても大きくて、やられた…!と思いました。タカシくん、お母さんと似た色をした声の持ち主に反応してるんだよね。だから同じ人が演じる意味がある。すごい。どんな系統の色だったんだろうな、壮ちゃんのことだからある程度のイメージを実際持ってると思うんだよなあ、そもそも演出で決まってるレベルかもしれないな。そしてそうやって出会った一人一人から大事な影響を受けてるのがまたいい。あの関西弁キャリアウーマンも、最初はただの無神経な人だと感じたけど(実際そうだけども)あの瞬間は、ただタカシが傷ついた、とかじゃなく、自分がマモルに支えられて生きてることや弟の愛に初めて気が付く重要な場面。そしてマモルにまっすぐ向き合ったから、マモルも兄がいつも自分を守ろうとしてたことに気が付けた。円周率の暗唱に挑む前、タカシとマモル、目を見合わせて頷き合うんですよね。あの瞬間、これから始まる闘いにタカシが挑むのは自分のためだけじゃない、マモルのためでもあるんだな、と今までの「マモルのため」とは違う、本当の意味でのマモルのため、でもあるんだな、と感じた。うーん、深い。回数重ねてようやく気付けた。

 

②。円周率の暗唱。タカシだけの挑戦じゃない、けれど、孤独な闘い。見えない世界の中で一人、強く闘っていた。999999を歩く恍惚かつ力強い姿。恐怖不安という名の闇が襲ってきた時も、タカシは決してひるまなかった。強く、強く、越えていった。そして、あの身体表現。もはやダンスではなく、身体表現。見えない何かと完全にシンクロしていたと思う。Twitterの感想で「(観客が)雷に打たれたみたいになってた」っていうのを見かけたけど、私もまさにそれだった。タカシが自分だけの見えない世界で躍動し出した瞬間、呼吸ができなくなって、息を呑んだままずっと見つめていた。あの瞬間、私は宇宙の神秘を見た。タカシは見えない世界の中で、確かに宇宙と繋がっていた。正直もう言葉に出来ない領域、人間がどこかで繋がりをもっているはずの崇高な次元の何か、第六感、心・魂の在る場所、そんな域に達していたと思う。びっくりした。超えていったタカシ。(ちなみに私は ここで上手く呼吸ができなくなってから終演後もしばらくずっと呼吸は浅く足元もおぼつかないままふらふらと帰路に着きました。)

 

あの円周率の暗唱成功がタカシの自信に、自己肯定になったのは疑う余地もないと思う。でも、あれだけすごい瞬間だったのにも関わらず、あの時間はタカシが「自分に打ち勝つことのできた」時間、というある種誰にでもある普遍的な瞬間でもあるわけで。不思議。こういった部分が、サヴァンについて描いてこそいるけど、人間の普遍的な本質について描いている作品だと感じる所以なんだろうな。

 

そうやって自分を肯定することができ、最後には思いっきり笑うことのできるようになったタカシが見られて、すごく幸せな気持ちだった。そう簡単にはいかないだろうけど、タカシにもきっといつか、「生まれてきて良かった」と思える時が来るのではないか、と信じられるような気がした。(生きてて良かった」とはまるで重みが違う言葉だと思う。このお話の全体的なイメージカラーは青のように感じるけれど(正確に言えばインディゴブルーになるのかもしれない)、こんなにも青があたたかい色に見えたのは初めてだったな。同時にとても美しくて神秘的な色だった。

 

 

円周率は永遠に終わらない、不完全な数字。この世は不完全なものばかり。

『不完全でいいんだよ』

と、登場人物たちだけでなく私たち観客までもを、タカシの好きな0(ゼロ)のように優しくまあるくあたたかく包み込んで、肯定してくれる、そんな、物語。

 

 

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本当はもっと考察したことしたいこと・感想がたくさんあるのだけれど、今回は「自己肯定」に論点を絞ってここまで。余裕があれば次も書けたらいいな。たくさんのテーマやメッセージが込められた作品だと感じるし、まだまだ気づけていないものもあるだろうとも思います。今からDVDが待ちきれません‼︎そして早くも再演希望! 

 

 

 

それにしても推しさん、平間壮一くんは本当にすごいな。素晴らしすぎる表現者だなあ。とんでもない人を推しとして応援させてもらっていると再認識したのでした…笑

 

上弦の捨霧もいいぞ!という話。~髑髏城の七人~

2017年末、「髑髏城の七人 Season月」下→上の順で上弦下弦共に観て参りました。

その後、このネットの波に散らばる様々な感想を読みまして、なるほどな~と考えを深めていた訳なんですけども。一つ!上弦の捨霧の関係性についての感想考察少なくない!?

・・・私が見つけられてないだけなのかな。心優しきどなたかいらっしゃいましたら教えてください。あとこのブログにも感想お待ちしてます。まあわかるよ、わかりますとも天蘭の話ばかりしたくなるのは!二人とも闇も沼も深いもん。。。下弦の捨霧が身長差年齢差二人の関係性諸々理想的で萌えるのもわかる!!(とは言っても上弦霧だって身長167で低めなんだよ)でも私個人の好み的に上弦の捨霧の素晴らしさについて語りたいんだ!他の人の意見も聞きたいんだ!!とりあえず足りてないなら自分から、ということで上弦の捨霧もいいぞ!というお話をしていこうと思います。とか言いながら結局上弦の話も下弦の話も両方してるしちょこちょこ他キャラの話も出てきてるけど。ちなみに私は上弦で霧丸を演じる平間壮一くんを推しております。なので基本贔屓目かと思いますが悪しからず。きりちゃん定点カメラになりがちだからこその捨霧推しですたぶん。あとこの流れで先に宣伝?しておきますが下弦で同じく霧丸を演じる松岡広大くんは平間くんと同じ事務所の後輩!W霧丸をこれからも何卒よろしくお願いします!!!!!(誰)少しでも気になった方いらっしゃたら是非!平間くんはこの夏ミュージカルGHOST出演いたします!あのろくろのやつのミュージカル版だよ!(紹介が雑)松岡くんはまだ先の情報が発表になっていないはずなのですが主演舞台のNARUTOのDVDやアマゾンの配信ドラマ(こちらも主演!!テニスの話!)ベイビー・ステップなどなどございますのでもし良ければ!!(だから誰)

では本題に。私が(ライビュだけど)観たことのある風の話も交えながら書いていきたいと思います。

 

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まずは全体の印象から。月の制作発表で、”若気の至り”というのがキーワードとして強調されていた。インタビュー等から、その言葉がピタッとフィットした出演者さんたちも多かったような印象を受けた。実際私も観劇後、若気の至りという表現にすごく納得した。初ドクロである風のイメージが強かったのだけど、月は登場人物の一人一人が(いい意味で)より脆い感じがした。私なりに月どくろを表すキーワードとしてもう一つ挙げたいのがこの人間らしい”脆さ”だ。若いからこその脆さが出ているのがすごく好き。でもその分年長のキャストが締めるところは締めていたのがまた素敵だった。風との違いだけでなく、上弦と下弦の2つの月も、まるで違って面白かった!同じ脚本なのに演じる人が変わるとこうも違いが出るのかあ、と改めて実感。風と上下月しか観ていないので何とも言えないところはあるのだけれど、下弦は髑髏城の「王道」を行っているような気がした、流石!!上弦は王道ではないかもしれないけど、個人的にはすっごく好きでした!!!一人一人のキャストさんによる役の解釈が(いい意味で)独特なのでは? おそらく(特に上弦は)年齢的にそもそもキャスティングが王道じゃないから、それぞれの役者さんが「自分がこの役を演じる意味って何だろう?自分にしか演じられない○○ってどんな風だろう?」と考えた結果なのかなあ、なんて思う。

 

 

では捨霧の関係性について語る前に、捨・霧それぞれの考察を。

まずは捨之介。最初に観た松山捨は、とても強い人のイメージだった。人の弱さ脆さ儚さ醜さを、命の重さを知っている。その上で飄々と生きている。自分の宿命を悟っていて、立ち向かわねばならぬとわかっていて関東に来た。捨に対してそんなイメージを持っていたからなのか、宮野捨も力強いイメージが。宮野さんご本人が持つ明るさが反映されている様で、こちらも飄々と生きている感じがある。人生の辛苦を知った上で明るく振る舞っている人だろう、っていうのもなんとなくにじみ出てた。松山捨よりは脆いイメージ。でも生命力というか、力強さみたいなものも併せ持っていた捨だった。太陽みたいだったなあ。 一方福士捨は、私の中のこのイメージを覆してきた。上弦キャストの中で実年齢がかなり下、っていうのも大きいんだろうな。捨という人物には、一人で「どん!」と立ってるイメージがあったけど、福捨は違う。一見、どん!と一人で立っているように見えるけど、実際はボロボロで足下もふらふらしてる。本当は他のどの捨もふらふらしていたのかもしれないけど、その傷を隠し耐えられるくらいには強かった。でも福捨は(自分では隠せてると思っていても)隠し通し切れていない脆さがある。その若さ故の脆さがいいなあって。なんか人間らしくて。今までの捨は自分が過去にとらわれ続けていることに気付いていてそれを断ち切ろうとしてるけど、福捨は自分は過去を断ち切ったつもりでその上で天魔王を止めよう救おうとしてる感じ。
宮野捨は捨の持つ陽の部分が上手くて、福士捨は陰の部分が上手いと感じた(どちらも十分上手いんだけど特にの話)。どっちの捨も素敵だったなあ。主人公気質。

 

次に霧丸。今回、月の大きな特徴として挙げられる、沙霧→霧丸、つまり女→男への変更ってことでどうなるかなあと思ってたけど、私は好きだった!正直、風を観たときは捨と沙の最終的な関係が腑に落ちてなくて…。風は蘭と太夫の恋愛関係がはっきりとしている分そこが濃くて胸に突き刺さったからか、捨沙の恋愛要素にどこか違和感を感じた。恋愛よりも戦友としての絆の方が強いような気もしていて。だから今回月ではすぱっと信頼関係・絆にまとまっていて私は好きだったし、しっくりきた。でも今回は蘭と太夫の関係性もザ・恋愛って感じとも違ったから恋愛要素は少なめだったのかな。その分ひたむきな兵庫の恋心が光っていたのでは?と思いました。あと、わざわざ沙霧を男性に変更してとっっっっっっても動ける二人をキャスティングしてきたからもうそれは動くんだろうな、とは思ってたけどアクション二人とも素晴らしかった!!!アクションと言えば早乙女さんの殺陣半端なかったな・・・いや殺陣以外も全部全部圧倒された。ちょっと待て今回天魔王の話をする気はないんだ……!あなたについて書き出すと乗っ取られかねないから……ちょっと蘭もみんなも出てこないで今回は捨霧について書くんだ!!!(荒い息)・・・お見苦しいところを失礼しました。で、霧丸の話に戻るんですけど、また上下で大きく違って面白かった。上弦の平間霧は基本的に人懐っこく情に厚い霧丸像。下弦の松岡霧はつんつんしてて反抗期真っ盛りの霧丸像。風の岸井沙霧のイメージと近かったのは松岡霧だけど、平間くんが捉えて表現した霧丸はすごくなるほどな!と思わされて、私が風で沙霧に感じた(前述の)違和感を解消させてくれたような気がしたしすごく好きだった(贔屓目)。どの霧も三者三様で素敵だったんだけどね。

では下弦の松岡霧についてまずは触れます。つんつんしてたなあ。仲間を皆殺しにされたことがもうとてつもないトラウマになってるんだろうな、と。(後述するけど)平間霧が人を信じたくても信じられない、っていう葛藤があるのに対して、松岡霧は人を信じることが完全に怖くなってしまった。今どうしたら良いのかもわからないし、何も誰も信じられないし、ただ天への復讐心はすごく強くて、天が憎いっていう衝動だけで動いているような。子どもだからこそ。自分一人でどうにかするんだ!って思ってるし、どうにかなるとも思い込んでる。捨をはじめ周りの人を信じ始めるのにもだいぶ時間かかった気がする。涙を他人に見せるのも嫌!みたいな時期。(あ、それに対して平間霧はわんわん泣いてましたねかわいい。)とっても鋭くて刺々しくて、でもその鋭さが同時に弱さ脆さの証拠でもあるような感じ。武器庫で宮野捨の話を聞いた時に、ずっと張ってた気持ちが頑なな心が溶けたんだろうなと思った。それからは勇敢だったねきりちゃん!

ほんと全然違ったんだよなあ二人の霧丸。まあ中の人の実年齢が8歳くらい違うんでね、そりゃ違うわって話なんですけど。子どもから大人になる途中段階ではあるんだけど、平間霧が大人寄り(17~21歳)で松岡霧は子ども寄り(13~16歳)というイメージ。めちゃ面白い。

 

そして上弦の平間霧について。ここから本題の中の本題に入っていきます(やっと)。全然つんつんしてないんだよね、鋭さはもちろんある上でだけど。熊木衆の仲間を殺されたっていう絶望・憎しみ・苦しさ…。そこから天への復讐心で動いてるけど、その衝動に駆られた行動が本当は間違っている(というか自分のすべきことではない)ってどこかでわかってるところもきっとあって。迷いや葛藤もすごく強いイメージ。元々は明るくて、やんちゃで、人が好きで、人を信じるところから入るタイプ。だから警戒してるのに色里って聞いたらヘラヘラしちゃうし、二郎衛門さんにもあっさり名前名乗って打ち解けちゃうし。これからは一人で立たなきゃ、敵とらなきゃ、って思いながらもまだ子どもでいたくて葛藤しているような。周りの人のことも本当は信じたいけど天に裏切られて人を信じるのが怖くなって、それでも捨や無界屋の人の温かさに触れて周りを信じようと思った。けどそこで今度は髑髏城で蘭に目の前で裏切られて。(ここでは捨にも裏切られたと思ってるし。)「もう誰も信じない!」と絶望した瞬間のあの笑い声ですよ!笑ってない公演もあるかもだけど!あの蘭が天に堕ちる場面、実は別の意味で霧丸も闇に堕ちる場面なのかも。すぐ戻ってくるけど。そこで戻ってくることができるのが霧丸の強さであり、人を殺すことが求められなかった人である証かな、と。蘭と天にはない強さ。霧丸は武器庫で捨の話を聞いて、捨を信じることに決めた。むしろ、ごめん、くらい思ってそう。ありがとう、とも。”命”をかけてまで自分を助けに来てくれて、そして天を止めようとしてる捨を心から信じたし、大切だと思った。そして昨日への刃を捨てようと決めた。めちゃくちゃ迷ってもがいた上で、ここで完全に明日を向いたきりちゃんは強い。さすが熊木の長。そして大きく変わった霧丸を見て、「目が変わった」っていう兵庫のアニキがまた最高すぎて・・・。武器庫以降の霧丸はすごく頼もしくて(精神的に)強くて。それがどんどん(精神的に)追い詰められていく捨と対になってて最高なんですけどそれについては後述↓↓。とりあえず霧丸についてまとめちゃう。ラストの方、家康が捨を見逃してくれてから去って行くまでの間、平間霧は何度も何度も深く頭を下げていて。感謝を忘れない山の民なんだなあと。そして元々の人懐っこいきりちゃんに戻れたんだなあと改めて感じられる。少しの間だけどふれあった家康のことを信じる気持ちがあったからこそあの行動ができたんじゃないかな(平間霧に関しては特に)。私の中のそもそもの霧丸(沙霧)の”つんつんして芯はあるけど生意気なところもある”というイメージを良い意味で壊してくれて、”やんちゃ”という一番大事なところは強くありつつも、人を愛し愛される霧丸を魅せてくれたなあ、という感じ。私の好みとして、”登場人物に人間味を感じられて愛せるか”っていうところがすごく大事みたいで。そこを感じられたのが良かったんだろうな。せっかくだから中の人平間壮一くんについて少し触れておくけど、彼自身も周りの人を愛することができるし、感謝を忘れない人です。そんな平間くんだからこそ創れた霧丸だったと思います。

 

さあようやく上弦の捨霧もいいぞ!っていう話に辿りつきました…。さっき全体の感想の方にも書いたんですけど、やっぱり髑髏城という作品の王道を行くのはいろんな意味で下弦なんだろうと思っていて。それは捨霧の関係性にも言えることかなあと。この二人の関係性は物語を決めるかなり大きなところなので、身長差・年齢差も師弟のような関係性も、下弦の捨霧は理想的だと思う。少年ジャンプ。まあこれに対して上弦は、そもそも実年齢がね平間くんの方が4歳くらい上なんですよ。初めて知ったそこのあなた!平間くんかわいすぎてびっくりでしょ!!!パンフによるとそんな年齢問題にはご本人も悩んだみたいでした。さてどうなるのかな、とワクワクしてましたが、私はすっっごく好きでした!!!!!!!!(贔屓目)両方観て、宮野捨には松岡霧だし福士捨には平間霧だな、とすごく思います。そして福士捨と平間霧について書いていくんですけども、福捨が若く脆い分、最終的に平間霧が捨を支えている感じがすごく好きで。風や下弦は(おそらくそれ以外のものも)捨が霧を救って導いて、というのがすごく強かった。けど上弦は捨が、っていうよりはお互いに支え合ってる、というところがより強くなっているように感じた。福捨はすごく脆くて。自分の生きてきた世界や価値観しか知らない。それはどの人もそうなんだけど、特に福捨は他の人にはまた別の世界があることを知らなかった。私は天が死んでしまった後の福士捨がとても印象に残っていて。捨が崩れていく感じが強かった。きっと捨は本当に天を救いたいと思ってたし救えるとも思ってたし、それが正しいことだと信じてた。そして自分が救ってあげなきゃとも思ってた。でも天は自ら死を選んでしまった。これはたぶん捨にとって自分を否定されるのと同じことだったと思う。天にとって捨が自分を殺さず助けようとしたことみたいに。信長が死んで捨は、「もう俺(たち)は自由になったから、自分の人生を生きるんだ」ってことを大事にして生きていて、むしろそれに固執しすぎてがんじがらめになってしまっていたくらいだったんじゃないかなと。本当は何一つ捨てられていないのに全てを捨てた気になって。だから(あんなオラオラな)蘭が”蘭兵衛”となっていたことを良としたし、ずっと蘭兵衛でいてほしかった。そして天にはもう自由だと気付かせてあげたかった。天にとって信長の亡霊を追うのが全てだったように、捨にとっては信長の亡霊を切り離すことが全てだった。だから天蘭が最後まで信長の亡霊を追いかけ続けていたのを見て、自分も結局はいつまでも信長の亡霊を切り離すことなんてできないんだ、そもそも自分は切り離せているつもりでいたけど、何一つ断ち切れていなかったんだ、ということに気がついてしまう。自分の脆さに気が付き認めてしまった。そして後を追おうと思った。きっとあの時、捨の中には何も残っていなかったし、今まで捨ててきたと思っていた全てが残ってもいた。あの福士捨を引き戻せたのは平間霧だからだと思う。平間霧は捨が消えそうになっているのに気がついたし、今度は自分が救おうと思った。それができたのは、平間霧が本当の意味で明日を向くこと・自分の足で強く立つことができていたからこそなのかな、と。福士捨が他の捨よりも若く弱く脆い分、平間霧が強く踏ん張っていてくれた。他の捨は一人で全てを背負っていてそれを周りに感じさせないくらい強いんだけど、少しずつ周りにもわかるくらいには重たい荷物だし、それに加え捨が今までに救ってきた積み重ねのお返しみたいなもので支えられる感じ。だけど、福士捨は荷物があまりにも重たいから背負い切れなくなりそうになって、その瞬間、霧丸が捨の体を力強く支えてくれて、太夫や兵庫、みんなも一緒に背負って捨を支えた、って感じがした。これは本当に私個人の好みだけど、私は上弦のこの形が人間らしくて好きでした。福士くんは若く、福士くんより平間くんが年上だったからこそできた関係性なのかなと思う。下弦の師弟、というイメージに対して兄弟・戦友という、より対等なイメージ。

 

今までの捨はもっと強い人だったのかもしれない。でも、人生の酸いも甘いも人間の弱さ醜さも知り尽くしてる人にはない”脆さという良さ”があり、それを支える大人な霧丸。大人と言ってもこちらもまだまだ脆い。私は人って基本的に弱くて脆いものだと思ってるし、そういった意味で福士捨と平間霧には特に人間味を感じた。弱い上で脆い上でお互いに背中預けて支え合うの最高だなって思います。私はここの関係性がすごく好きなので、わかってくれる人いるといいなあ。ぜひ他の方の考察を聞きたい。どんな形でもいいのでお待ちしてます!

当たると信じてるライビュに行ったらまた違った感情もわいてくるかもしれないので(なんせ脳内補完ばかりしてる)そのときはまた書きます。

ハンサム。~HFF2017に行って感じたこと~ ②

前回の続き。

今までのハンサムとは大きく変化したHFF2017だったわけですが賛否両論分かれたことは置いておくとして、この変化の裏側を想像していきたいと思います。

 
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今回のハンサムたちの挨拶や言葉でところどころ出てきた言葉。
「このメンバー本当に仲が良くて~」
「今回本当に楽しくて~」
 
ここに引っかかった人もいたはず。今回、メンバーや形式が今までとは大きく変わったけど、それによって裏側で大きく変化したんじゃないかなと思うこと。それは、”ハンサムへの取り組み方”だ。今までハンサムを中心となって創り上げそして引っ張ってきたメンバーたちが一気に卒業した。そして最年長が神木吉沢になった。舞台パートの神木部長の雰囲気を見た感じだと、みんなが自分たちに遠慮しないよう絶妙な塩梅で時に盛り上げ時にイジり・・・いい関係性、チームワークを築いたんだろうなと思う。流石すぎるぜコミュニケーションモンスター神木さん。2016で新人と呼ばれていた彼らが2017であそこまでのびのびと個性を発揮できたのは、おそらく神木くんの力量によるところが非常に大きいんじゃないかな。すごくすごく素敵だと思う。神木くん最高of最高かつ最強。きっと新人ハンサムたち(もう新人じゃないかもだけど便宜上新人と呼びます)本当にすごくすごく楽しかったんだと思う。気心知れた仲間たちと、新しいものを創り上げる。一流のクリエイターさんたちと一緒にお仕事できたり、同じ事務所の同世代と芝居できたり。刺激にもなったんだと思う。舞台パートはスタッフさんたちと一緒に創ったって話もあった、そういった面で達成感みたいなものも大きかったのだと思う。十分素敵なことだ。素晴らしいことだ。ただ。それは内輪で終わっていないか?新たなものを恵まれた環境で創り上げられた、という達成感・楽しさ、それだけで終わっていないか??別にね、それでいいんだよ。十分なんだ。それにもちろん、ファンに感謝を伝えようと多忙の中ものすごく頑張ってくれたんだろうな、って思う。でも、でもね正直私は、その熱量は先輩たちのものには及ばなかったような、そんな気がしてしまった。その密度が、その濃さが、違うと感じてしまった。私が求めすぎてるとは思う。けど、悲しくて。でもね、ほんとに、与えられた環境の中で最大限のことをしてくれたんだろうな、とは思ってるんです。これはもうどうしようもない。だって、先輩たちと今のメンバー(の大半)では、たぶん”ハンサム”というものに対する思い入れが絶対的に違う。………とは言っても、あくまで私の推測に基づいた話になってしまうんですけども。
 
きっと、ハンサム全盛期を支えてきた彼らにとって、ハンサムってただ単にファンへ感謝を伝える場、ってだけじゃない面があると思っている。たぶん、自分を”見つけてもらった場所”であり、”一緒に育ち大きくなってきたイベント”なのではないか。彼らはハンサムというイベントと共に成長してきたから。事実、ハンサムをきっかけに別の沼へ足を滑らしていくヲタクの多いこと!とかいう私もその一人です!!!ハンサム最高!いぇーーい!!!!!……………ハンサムたち、今でこそだいぶお仕事が安定してきた人多いけど、それは長年の積み重ねあってのことじゃないですか。だいたい2012くらいまでかなあ、自分を見つけてもらいたい!ってあがいていたであろう頃のハンサムたちって、年相応にギラギラしていて。(ちなみに年相応のギラギラ感といえば、2014~現在にかけての広大先生にも感じます)それがまた今とはひと味違っていいなあと思う。そうやって全力で感謝を届けるうちに自分を見つけてもらって、その分またさらに頑張って感謝を伝えて、また応援してくれる人が増えて。そうやって、彼ら自身もハンサムというイベントも、大きくなってきたんじゃないかなあ、と思うのです。だから、彼らにとって”ハンサム”ってそういう意味でも特別なんだと思う。ファンへの感謝、いろんな思いだけじゃなく、”ハンサム”というコンテンツそのものに対して感謝や思い入れがたっっっっくさんある。そんな歴史が、彼らの熱量を生み出してた部分もあるように思う。まあそりゃ会場や規模がどんどん大きくなっていくのをリアルに経験してきた人といきなり超大きな会場に投げ込まれた新人じゃ感覚はまるで違うよ。と思うので、どうしようもない、という結論に達してます。
 
まあそんな”ギャップ”を抱えたメンバーが一堂に会した2016。新人たちにとっては相当厳しくてきつかったんだろうな、と。決して不仲とかそういうわけではなく、それこそ部活のような。だってあれだけのクオリティにとんでもない熱意をもった先輩たちがいたら後輩誰だって大変だもん。3年メンバーは”ハンサム”の根底に流れるものについて、伝えられるだけすべて伝えようとしてくれてただろうし。そんな強豪部活のような2016を経た上での2017、前述のような環境だったら確かに「今年は楽しい!」ってなるわなー。ハンサムそのものに対する思い入れがどうしても違うから、ゆるくもなるわなー。悪いことではないと思う。むしろ、そのことで輝く別の何かもある。その世代に合ったハンサムを創っていけばいい。ただ、私は”ハンサムと一緒に育ってきた彼ら”が届けてくれるハンサムが好きだった。大好きだった。いや、今でも大好き。ずっとずっと、支えられてる。私の好きなハンサムは、(私にとっての)ハンサム全盛期・黄金時代は本当に終わってしまったんだなあ、と思わずにはいられないのです。
 
 
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とりあえず、HFF2017についての話はここまで。ほんとはフィルムの内容についてやら色々書いてもいいんだけど、悲しくなるのでやめます。こんなブログを書いておいてあれだけど、新人ハンサムたちのことも心から応援してます。してるからこそ余計な心配をしてしまう。お節介なのさ。ハンサムは最高のコンテンツだし、この素晴らしいイベントを創ってくださってるアミューズさんには頭が上がりません。が、2014が終わって区切りがついたはずのハンサム、復活してからアミューズさんの上の方が変わったかな、とこれまた心配。お節介なのさ。だって大好きだから。ハンサムについてはいくらでも語れるのさ。そういえば、新人たちがしきりに「来年も~」みたいなことを言ってたのも気になる。それは確定してるのか上へのアピールなのか?…何にせよ、ハンサムたちが、アミューズが、順調に発展していくことを願うアミュヲタなのでした。
 

ハンサム。~HFF2017に行って感じたこと~ ①

2017/12/27。HFF2017に行ってきました。

いろいろ感じたことはあるのだけれど、まず最初に一つ。多忙の中、ファンのために頑張ってくれたハンサムたち・スタッフさん方、本当にありがとうございました。今まで築き上げてきた大きすぎるものを背負った上で、新しいスタートを切らなきゃならない状況はとっても大変だったんじゃないかなと思います。感謝です。本当は2017について書いていきたいのだけど、どうも2016とか以前のハンサムについて書きたくなったのでそこを中心にしながら2017にも触れていこうと思います。というか今までのハンサムに触れるの不可避!!・・・さあ、長くなるぞー!

 

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2017年、夏頃。HFFの詳細が発表になったとき。ファンはかなり荒れていた。先輩たちが一気に卒業したから。でも正直、私は予想通り、というか、これで良かったんだ、と思った。もちろんめちゃくちゃ悲しかったもうそれはそれは悲しかった、ハンサムという場で彼らが観れないと思うと何なら今でも心が苦しい。でも。アミューズ英断だ、って思った。

2014年。ハンサム10周年。10年間の集大成を意識した構成・熱量で最高のパフォーマンスを届けてくれて、”ハンサム”は一区切りをつけた。(ちなみに通は2016のアベマ事前番組のコメントで「2014が最後だと思ってた」と明かしている。)私は、2016のハンサム、出演者発表があるまでほとんどのメンバーが出られないんじゃないかと思っていた(あまりにみんな多忙だったから)。まあところが蓋を開けてみるとあんなにまでそろっていたのでびっくりしたとさ。で、ここからは完全に私の(もはや妄想の域に達している)推測なんですけど、2016を開催すると決めた当初はここまでメンバーがそろうって決まってなかったんじゃないかなーと思っている。だってこのメンバーでライブ形式なのにキャパ3000のTDCっておかしくない??追加公演はキャパ5000だったし。メンバーが確定してから急いでおさえたのが国フォだったのかな、なんて。だから、2017みたいなメンバー・形式で2016が開催されてた可能性もあったもかも。奇跡の2016に感謝。

若干話がそれたけども。そんな奇跡の集結だった(であろう)2016は、”3年生”というくくりやその3年メンバー(まあ直人はいなかったけれど)による「Never Let Go!」なんていう、これがラストだよ~の伏線祭りだった。ので2017はガラッと変わるだろうなという覚悟はしてた。いつかは絶対に卒業の時が来るからね、終わりが来るから。この卒業の形がベストだったと思うし、むしろ一気に卒業してくれとまで思ってた。何でも美しいうちに散ったほうが美しいから。以下その詳細!

2016、ゆじろさんいづけん生成かっくんジーンたちがいなかった。(今までも卒業や欠席、一年休んでまた、というのは何度もあったけど、)やっぱり悲しさがあるじゃないですか。まだ戻ってくるならいいよ、いいけど、これくらいの年齢になって一度都合がつかずに出なかったらもうほぼ卒業確定じゃん。少しずつ、少しずつハンサムを支えてきた盛り上げてきた愛してきた、ハンサムに必要不可欠なメンバーが減ってくんだよ。各々が絶大なるパフォーマンス力を持ってるから(歌・ダンス・MC・トーク・笑い・癒やしetc...)一人卒業するごとにどんどんパワーダウンしていくんだよ、クオリティが下がっていっちゃうんだよ。それが良いことだと私は思わないし、ハンサムたち自身もそうなっていくことを望まないのではないか?と思う。あくまで私の考えだけど、ハンサムがここまで大きなイベントになってあったかい愛に包まれているのは、ハンサムの、”若手俳優によるファン感謝祭”という域を凌駕したクオリティあってこそだと思っていて。この圧倒的クオリティが何を意味するかって、彼らが、ハンサムたちがパフォーマンスを全力でいや全力を超えてファンに届けようとしてくれてるってことなんですよ!その全力が彼らをあんなにまで輝かせてるのだと思う。あの笑顔あの涙あの言葉あの愛しさ。その輝きが”ハンサム”の魅力となって、私たちを魅了してくれるんじゃないか。メンバーにダンスと歌が得意な人が多いから、”ライブ”という形で全力を、最高を目指してくれたんだと思う。全力で感謝を伝える。」というハンサムの根底にあり、ハンサムのすべてが現れたものこそ、圧倒的なクオリティだったのだと思う。

実際、2016の最終公演、最後の挨拶でるいるいが「新人たちが入ってきたことでクオリティを下げられないと厳しいことも言いました。」と話していた。そこまでしてくれた。今まで積み上げてきた歴史があるから。そしてその歴史を超えて、つなげていきたいから。ファンの期待に応えたいから。最後だから、下の世代に伝えられるものをすべて伝えようって気持ちもあったんじゃないかなあ。

まただいぶ話がそれた気がするけどつまりは、ハンサムたち自身が感謝を伝えるための手段として、全力で創るハイクオリティのパフォーマンス、というものをとっても大切にしていたんだと思う。だから、その「全力」を共に創り上げてきたメンバーたちが少しずつ減っていってクオリティが下がっていくより、最高のパフォーマンスをして一気に卒業するのが最も良い終わり方なんじゃないかな、ハンサムたち自身もそれを望むのではないかな、と考えてたわけです。(ここでやっと”英断”の理由にたどり着くという.......)

 

そんなこんなで2017の詳細を受け止めた私なんですけども、2017でおーーーきく変わったこととして出演者とは別にもうひとつあるわけで。そう、フィルムがメインになったこと。でも実はこれにも正直賛成だった。上の青の文章がすべて。「全力で感謝を伝える」という根底さえ変わらなければ大丈夫だから、その年のメンバーたちの”得意”を生かせばいい、と思ってた。先輩たちがダンスに歌に得意すぎたので、むしろその路線では行くな!ってくらいに思ってましたはい。我らが推し神木くんが本当の意味でのセンターになるわけだし、お芝居を中心にするのはベストアンサーかな、と。ただ本当のことをいえばTHE GAME復活で先輩たちがまた集まれることを願ってたのでフィルムじゃなくて舞台とかにしてほしかったけど。

 

そんな私の懸念はただ一つでした。「先輩たちのあの熱量、あの輝きをどこまで引き継げるのか?」ずっとずっと不安で。正直、期待しないようにしてた。なのに!HFF2017当日!会場で公演が始まる前に流れるCMで!LIVE DAMさんが!Festival Night の映像流してくれちゃうもんだから!!(なのに配信終了ってどういうことなのか説明してほしいし説明しなくてもいいからまま音カラオケ全部復活させてくださいお願いします・・・それが目的でカラオケ行く人いますよ…一定数の需要ありますよ…)会場の最寄り駅着いた時点で一年前のこと思い出してすでにやばかったのに!もうダメじゃん!壮ちゃんいないんだ航生いないんだ、たっくんるいるいああもう先輩たちみんないないんだ・・・・・・ってなっちゃうじゃん!!(涙目)思わずウッ!!!って声が出ましたよ独りでに。そのテンションだったからかなあ、ライブパート観てたら悲しくて悲しくてたまらなくなっちゃって。当たり前のことなんだけど、ダンスのクオリティがやっぱり違う。申し訳ないけど、私は魅了されなかった。それにね、ステージがすかすかなのが寂しかった。フィルムと舞台(ゲーム)パートは楽しめた。けど、フィルムは期待してたほどのクオリティはなく。脱がせすぎBL入りすぎに軽く引き。舞台パートのわちゃわちゃは面白くていっぱい笑った!けどグダグダ感が否めなかったなあと。(ライビュ会場ではシーンとしてたところもあったと聞くし。)今回、もちろん幸せももらいました。ハンサムたちのこと大好きで愛おしいから、どのパートも観てるだけで十二分に幸せだった。でもその幸せはどこから来るのかっていうと、ハンサムたちの存在そのものに感じる幸せが強くて。(生・画面越し関係なく)ハンサムたちを観ている、という幸せ。この幸せはすごく大切で大事なものなんだ、けども。でも。言ってしまえば、その幸せってハンサム以外でも感じられるもので。ハンサム以外でもできることで。各々の出演作品やストラボ等。何ならそういった点での幸せ感・満足度はハンサム後夜祭の方が高いくらい。だから、”ハンサム”というコンテンツに求めているものに出会えなかった感覚になってしまった。ハンサムも変化していく中で、私がハンサムに求めるものを間違えただけのことかもしれないけど。

それと全体を通して、去年と同じ場所とは思えないくらい、会場の空気が違って。悲しかったし寂しかった。あの熱気は熱量はどこに行ってしまったんだろうって。あのとてつもなくあったかい空間とはほど遠くて。出演者一人一人(新旧関係なく)の名前を目一杯、そしてハンサム一人一人に、スタッフさんに、あの場所にあの空間に全力で「ありがとうーーーー!!!」と叫ぶ私たちファンがいて。ハンサムたちも全力を超えた全力で、パフォーマンスを通し言葉を通し表情を通し、ありがとうと伝えてくれる。全力で届けてくれる。「こっちこそありがとうだよ」と、「ずっとそばにいてください」と、伝えてくれる。基本的に一方通行じゃないですか、ファンなんて。一方通行だからこそ好き勝手言っていられるし。でも、この”ハンサム”という場所は「ありがとう」がお互いに通じ合ってる。そして、僕たちには皆さんが必要です。と言ってくれる。ファンとしてこれ以上に嬉しい言葉ないよなあ…ってホントに思う。彼らが俳優でありこっちはファンである以上しょうがないことだけど、俳優を”消費”してしまっているような、”商品化”してしまってるんじゃないか、って苦しくなることが時々あって。大好きだから、愛しくて愛しくてたまらないからこそ申し訳なくなるときがある、一方的に利用させてもらってるような。でもそこで、「必要だ、自分にとっての命なんだ。」「冗談抜きで365日みんなのこと考えるから。」っていってくれるハンサムたち・・・ホントにもう・・・好き・・・大好き・・・。それはそれは素晴らしい空間だったんだ。

 

あ、また話がそれた。でもね、全部書きたいことだったんです。2016については書きたいこと山のようにあるからまた別の記事で書こうかな。結局、今回HFF2017に参戦して感じたのが「あ、私こんなに先輩ハンサムたちのこと好きだったんだ」ってことでした。もちろんその前から先輩ハンサム大好きな自覚はものすごくあったけど、その強い自覚以上に好きだったと気づかされたなあ。笑

HFF2017についてはだいぶ批判的な論調で書いてしまったけど、2017における今までとの様々な変化、それがいいことなのか悪いことなのかっていうのはまた別の話で。いろいろ考えてるので次の記事ではその話を書こうかな、と思います。

 

 

・・・私ハンサムに関する論文書けそう。

 

(続)

 

はじめに

2018年。ずっと気になっていたブログを始めてみることにしました。

 

簡単に自己紹介。

 

舞台が好きです。ミュージカルが好きです。

ドラマが好きです。映画が好きです。

 

アミューズという事務所の若手俳優さん方を箱推ししてます。

年々有名になってきた、”ハンサム”なるものを開催している事務所です。

 

ハンサムが好き!

「ハンサムたちがさ~…」

「先輩ハンサムは…」

 

 

とかいう文脈、慣れない人には非常に引っかかるかと思いますが

おそらくバンバン出てくるのでご容赦ください。

 

・・・てかハンサムが好き!ってどこの面食いだよ!

先輩ハンサムって何だよ!!・・・

慣れって怖い。

 

まあそんなハンサムな人たちを推してるわけですが、

その中でも特に推してる人の名前だけ挙げておこうかな。

 

神木隆之介くん。平間壮一くん。です!!!!!!!!!

 

 

新旧というか、先輩後輩というか、そういうくくりでは

かなり旧寄り、先輩寄りです。

といいつつもDearDreamも応援してるので結局は箱推しです。

 

基本的にめんどくさいオタクなので

賛否両論あるような話もするかと思いますが

温かい目で見守ってください。

褒められて伸びるタイプです。()

 

 

 

 

・・・

と、こんな風に対他人向けの文章を書いてみたものの。

私のブログなんぞを読む人なんているのか??

初めということで対人向けに書いてみましたが、

これからは独り言みたいに書くかな。