へーびーろーてーしょん

とあるアミュオタの思うこと考えることをつらつらと。全てイチ個人の意見です。

ハンサム。~HFF2017に行って感じたこと~ ①

2017/12/27。HFF2017に行ってきました。

いろいろ感じたことはあるのだけれど、まず最初に一つ。多忙の中、ファンのために頑張ってくれたハンサムたち・スタッフさん方、本当にありがとうございました。今まで築き上げてきた大きすぎるものを背負った上で、新しいスタートを切らなきゃならない状況はとっても大変だったんじゃないかなと思います。感謝です。本当は2017について書いていきたいのだけど、どうも2016とか以前のハンサムについて書きたくなったのでそこを中心にしながら2017にも触れていこうと思います。というか今までのハンサムに触れるの不可避!!・・・さあ、長くなるぞー!

 

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2017年、夏頃。HFFの詳細が発表になったとき。ファンはかなり荒れていた。先輩たちが一気に卒業したから。でも正直、私は予想通り、というか、これで良かったんだ、と思った。もちろんめちゃくちゃ悲しかったもうそれはそれは悲しかった、ハンサムという場で彼らが観れないと思うと何なら今でも心が苦しい。でも。アミューズ英断だ、って思った。

2014年。ハンサム10周年。10年間の集大成を意識した構成・熱量で最高のパフォーマンスを届けてくれて、”ハンサム”は一区切りをつけた。(ちなみに通は2016のアベマ事前番組のコメントで「2014が最後だと思ってた」と明かしている。)私は、2016のハンサム、出演者発表があるまでほとんどのメンバーが出られないんじゃないかと思っていた(あまりにみんな多忙だったから)。まあところが蓋を開けてみるとあんなにまでそろっていたのでびっくりしたとさ。で、ここからは完全に私の(もはや妄想の域に達している)推測なんですけど、2016を開催すると決めた当初はここまでメンバーがそろうって決まってなかったんじゃないかなーと思っている。だってこのメンバーでライブ形式なのにキャパ3000のTDCっておかしくない??追加公演はキャパ5000だったし。メンバーが確定してから急いでおさえたのが国フォだったのかな、なんて。だから、2017みたいなメンバー・形式で2016が開催されてた可能性もあったもかも。奇跡の2016に感謝。

若干話がそれたけども。そんな奇跡の集結だった(であろう)2016は、”3年生”というくくりやその3年メンバー(まあ直人はいなかったけれど)による「Never Let Go!」なんていう、これがラストだよ~の伏線祭りだった。ので2017はガラッと変わるだろうなという覚悟はしてた。いつかは絶対に卒業の時が来るからね、終わりが来るから。この卒業の形がベストだったと思うし、むしろ一気に卒業してくれとまで思ってた。何でも美しいうちに散ったほうが美しいから。以下その詳細!

2016、ゆじろさんいづけん生成かっくんジーンたちがいなかった。(今までも卒業や欠席、一年休んでまた、というのは何度もあったけど、)やっぱり悲しさがあるじゃないですか。まだ戻ってくるならいいよ、いいけど、これくらいの年齢になって一度都合がつかずに出なかったらもうほぼ卒業確定じゃん。少しずつ、少しずつハンサムを支えてきた盛り上げてきた愛してきた、ハンサムに必要不可欠なメンバーが減ってくんだよ。各々が絶大なるパフォーマンス力を持ってるから(歌・ダンス・MC・トーク・笑い・癒やしetc...)一人卒業するごとにどんどんパワーダウンしていくんだよ、クオリティが下がっていっちゃうんだよ。それが良いことだと私は思わないし、ハンサムたち自身もそうなっていくことを望まないのではないか?と思う。あくまで私の考えだけど、ハンサムがここまで大きなイベントになってあったかい愛に包まれているのは、ハンサムの、”若手俳優によるファン感謝祭”という域を凌駕したクオリティあってこそだと思っていて。この圧倒的クオリティが何を意味するかって、彼らが、ハンサムたちがパフォーマンスを全力でいや全力を超えてファンに届けようとしてくれてるってことなんですよ!その全力が彼らをあんなにまで輝かせてるのだと思う。あの笑顔あの涙あの言葉あの愛しさ。その輝きが”ハンサム”の魅力となって、私たちを魅了してくれるんじゃないか。メンバーにダンスと歌が得意な人が多いから、”ライブ”という形で全力を、最高を目指してくれたんだと思う。全力で感謝を伝える。」というハンサムの根底にあり、ハンサムのすべてが現れたものこそ、圧倒的なクオリティだったのだと思う。

実際、2016の最終公演、最後の挨拶でるいるいが「新人たちが入ってきたことでクオリティを下げられないと厳しいことも言いました。」と話していた。そこまでしてくれた。今まで積み上げてきた歴史があるから。そしてその歴史を超えて、つなげていきたいから。ファンの期待に応えたいから。最後だから、下の世代に伝えられるものをすべて伝えようって気持ちもあったんじゃないかなあ。

まただいぶ話がそれた気がするけどつまりは、ハンサムたち自身が感謝を伝えるための手段として、全力で創るハイクオリティのパフォーマンス、というものをとっても大切にしていたんだと思う。だから、その「全力」を共に創り上げてきたメンバーたちが少しずつ減っていってクオリティが下がっていくより、最高のパフォーマンスをして一気に卒業するのが最も良い終わり方なんじゃないかな、ハンサムたち自身もそれを望むのではないかな、と考えてたわけです。(ここでやっと”英断”の理由にたどり着くという.......)

 

そんなこんなで2017の詳細を受け止めた私なんですけども、2017でおーーーきく変わったこととして出演者とは別にもうひとつあるわけで。そう、フィルムがメインになったこと。でも実はこれにも正直賛成だった。上の青の文章がすべて。「全力で感謝を伝える」という根底さえ変わらなければ大丈夫だから、その年のメンバーたちの”得意”を生かせばいい、と思ってた。先輩たちがダンスに歌に得意すぎたので、むしろその路線では行くな!ってくらいに思ってましたはい。我らが推し神木くんが本当の意味でのセンターになるわけだし、お芝居を中心にするのはベストアンサーかな、と。ただ本当のことをいえばTHE GAME復活で先輩たちがまた集まれることを願ってたのでフィルムじゃなくて舞台とかにしてほしかったけど。

 

そんな私の懸念はただ一つでした。「先輩たちのあの熱量、あの輝きをどこまで引き継げるのか?」ずっとずっと不安で。正直、期待しないようにしてた。なのに!HFF2017当日!会場で公演が始まる前に流れるCMで!LIVE DAMさんが!Festival Night の映像流してくれちゃうもんだから!!(なのに配信終了ってどういうことなのか説明してほしいし説明しなくてもいいからまま音カラオケ全部復活させてくださいお願いします・・・それが目的でカラオケ行く人いますよ…一定数の需要ありますよ…)会場の最寄り駅着いた時点で一年前のこと思い出してすでにやばかったのに!もうダメじゃん!壮ちゃんいないんだ航生いないんだ、たっくんるいるいああもう先輩たちみんないないんだ・・・・・・ってなっちゃうじゃん!!(涙目)思わずウッ!!!って声が出ましたよ独りでに。そのテンションだったからかなあ、ライブパート観てたら悲しくて悲しくてたまらなくなっちゃって。当たり前のことなんだけど、ダンスのクオリティがやっぱり違う。申し訳ないけど、私は魅了されなかった。それにね、ステージがすかすかなのが寂しかった。フィルムと舞台(ゲーム)パートは楽しめた。けど、フィルムは期待してたほどのクオリティはなく。脱がせすぎBL入りすぎに軽く引き。舞台パートのわちゃわちゃは面白くていっぱい笑った!けどグダグダ感が否めなかったなあと。(ライビュ会場ではシーンとしてたところもあったと聞くし。)今回、もちろん幸せももらいました。ハンサムたちのこと大好きで愛おしいから、どのパートも観てるだけで十二分に幸せだった。でもその幸せはどこから来るのかっていうと、ハンサムたちの存在そのものに感じる幸せが強くて。(生・画面越し関係なく)ハンサムたちを観ている、という幸せ。この幸せはすごく大切で大事なものなんだ、けども。でも。言ってしまえば、その幸せってハンサム以外でも感じられるもので。ハンサム以外でもできることで。各々の出演作品やストラボ等。何ならそういった点での幸せ感・満足度はハンサム後夜祭の方が高いくらい。だから、”ハンサム”というコンテンツに求めているものに出会えなかった感覚になってしまった。ハンサムも変化していく中で、私がハンサムに求めるものを間違えただけのことかもしれないけど。

それと全体を通して、去年と同じ場所とは思えないくらい、会場の空気が違って。悲しかったし寂しかった。あの熱気は熱量はどこに行ってしまったんだろうって。あのとてつもなくあったかい空間とはほど遠くて。出演者一人一人(新旧関係なく)の名前を目一杯、そしてハンサム一人一人に、スタッフさんに、あの場所にあの空間に全力で「ありがとうーーーー!!!」と叫ぶ私たちファンがいて。ハンサムたちも全力を超えた全力で、パフォーマンスを通し言葉を通し表情を通し、ありがとうと伝えてくれる。全力で届けてくれる。「こっちこそありがとうだよ」と、「ずっとそばにいてください」と、伝えてくれる。基本的に一方通行じゃないですか、ファンなんて。一方通行だからこそ好き勝手言っていられるし。でも、この”ハンサム”という場所は「ありがとう」がお互いに通じ合ってる。そして、僕たちには皆さんが必要です。と言ってくれる。ファンとしてこれ以上に嬉しい言葉ないよなあ…ってホントに思う。彼らが俳優でありこっちはファンである以上しょうがないことだけど、俳優を”消費”してしまっているような、”商品化”してしまってるんじゃないか、って苦しくなることが時々あって。大好きだから、愛しくて愛しくてたまらないからこそ申し訳なくなるときがある、一方的に利用させてもらってるような。でもそこで、「必要だ、自分にとっての命なんだ。」「冗談抜きで365日みんなのこと考えるから。」っていってくれるハンサムたち・・・ホントにもう・・・好き・・・大好き・・・。それはそれは素晴らしい空間だったんだ。

 

あ、また話がそれた。でもね、全部書きたいことだったんです。2016については書きたいこと山のようにあるからまた別の記事で書こうかな。結局、今回HFF2017に参戦して感じたのが「あ、私こんなに先輩ハンサムたちのこと好きだったんだ」ってことでした。もちろんその前から先輩ハンサム大好きな自覚はものすごくあったけど、その強い自覚以上に好きだったと気づかされたなあ。笑

HFF2017についてはだいぶ批判的な論調で書いてしまったけど、2017における今までとの様々な変化、それがいいことなのか悪いことなのかっていうのはまた別の話で。いろいろ考えてるので次の記事ではその話を書こうかな、と思います。

 

 

・・・私ハンサムに関する論文書けそう。

 

(続)