へーびーろーてーしょん

とあるアミュオタの思うこと考えることをつらつらと。全てイチ個人の意見です。

colcoring musical 『Indigo Tomato』🍅 不完全を肯定する物語。

 まだ大阪公演が残っていますがmy楽は終わったしぼちぼち感想まとめ。本当に素晴らしいミュージカルだから大阪迷ってる人がいたら絶対に行ってほしい。一人でも多くの人に届いてほしいミュージカル。本も演者も曲も歌も舞台装置も照明も生演奏ももう何もかも最高だから。贅沢。サヴァン症候群を扱ってこそいるけど、描いているのは人間の持つ普遍的なものだと思うし。そしてひたすらに推しがすさまじく素晴らしい!東京公演は1週間の間で口コミが広がって座席余ってたところから立ち見まで出るほどになったので!良作だっていう何よりもの証拠。ブリーゼ、埋まりますように。。。!

では以下ネタバレ有です。

 

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 3回目でようやく気付いた。この物語は、「タカシが自分を肯定できるようになる話」だと。

 M1『π / My Map』から始まるOP。円周率の世界、数字の世界にいるタカシは、とても幸せそうで。私たちに見えない世界がそこには確かに存在していた。あの世界は、タカシがタカシでいられる居場所なのだろうなと思う。タカシには、目に映る景色がどんなふうに見えているのだろうか。数字はどんな色形を、周りの人々の声はどんな色をしているのだろう。見てみたいなあと思う。

いわゆる「見える世界」である社会は、タカシには合わない場所。曲中でガラッと”現実”に変わってからは、ただただ胸がギュッと苦しい。「僕は 異星人」と歌う声が表情が頭にこだましている。「生まれた時から、ずっと、居心地が悪いんだ」と後からタカシが表現していたけれど、初めてこの表現を聞いたとき、グサッときた。居心地が悪いってよくあることかもしれないけど、生きていかねばならない社会そのものの居心地が悪いというのは、とってもとっても生きづらい。ずっと、苦しい。基本がスタートが苦しい。タカシに数字の世界という居心地の良い場所や円周率という親友がいてくれてよかったと心から思う。もしそうじゃなきゃ、苦しすぎるよ、生きていけないよ。

 

でも、タカシが一切笑わない理由はすぐにはわからなかった。人はどんなに苦しくても、決して笑わないなんてことはないんじゃないかと思っていた。でも、3回目でようやくわかったのだ。タカシがずっと笑えなかったのは、いつしか自分を肯定できなくなっていたからではないか、と。ずっと居心地が悪くて、自分は「異星人」だと感じて、自分を認めてあげることができなくなって、自分を肯定できずにいたのではないだろうか。だから、笑えなかった。

異星人、といえば、ユーゴも自分のことをそう表してたわけだけども、同じ「異星人」でもタカシは自分の内に引きこもるタイプ、ユーゴは環境や周りを見返してやろうと外で大成功を目指すタイプ、と対照的なのがうまいなあと思った。似た者同士の正反対な2人。

ユーゴ然りローラさん然りアヤさん然り、障がいだけじゃなく、国籍性別シングルマザー、そしてその家族、といった具合にいろいろな「居心地の悪い人」の姿を描写してたのもすごくよかったなあ。

 

 

タカシはずっと自分を肯定してあげることができなかったけど劇中の日々を通して、

・自分は母や弟に愛されていて、周りにはあたたかく接してくれる人もいる(①)

ということを初めて認識・理解できたのと、

・自分の壁を超える大きな挑戦を成し遂げた(②)

という経験が重なって初めて自分を肯定することができ、笑うことができたのかな、と。「僕は異星人、だけどそれでいい」と、思えるようになったのではないかな。

 

①について。数字や声の色は見えても、愛は見えない。人の気持ちを推し量るのが苦手なタカシにとって、愛は感じにくいものだったのだろう。正直、お母さんの「夢を見れる子」という言葉が自分の中でなかなか腑に落ち切らなかったのだけれど、好子さんの言葉通り、「夢を見れる子」=お母さんが子どもたちを愛していた、ってことなんだなあと3回目でなぜかやっとしっくりきた。(もちろんもっと深い意味のある言葉だとは思うのだけど、一旦置いておく。別でまとめられたらいいな。というかお母さんについて自体もっと考えたいので別で書きたいなあ。かっこう、かっこう、書っこう…← いや、こんな風に茶化しちゃいけないレベルでこの歌凄まじかったです、かっこう、のフレーズが劇中で最も頭に焼き付いてこびりついて離れません…)なんだろう、お母さんが二人を肯定していた・愛していた証の言葉なんだなあ、と、納得できたという感じ。この言葉はタカシだけでなくマモルも肯定してくれたのがまた良き。マモルはお母さんの記憶もなければ兄の愛にも気が付いていなかったから、①に関してはマモルの中でも欠けていたところだったのだろうと思う。タカシもマモルも前を向けたのが、すごく嬉しい。

この物語のすごいところだなあと感じるのは、二人の幼い子を捨ててしまった母でさえ肯定している、というか否定していないこと。ローズさんの歌、深い。愛でさえ心を縛ることはできない。あ、一人で何役も演じる意味がとっても大きくて、やられた…!と思いました。タカシくん、お母さんと似た色をした声の持ち主に反応してるんだよね。だから同じ人が演じる意味がある。すごい。どんな系統の色だったんだろうな、壮ちゃんのことだからある程度のイメージを実際持ってると思うんだよなあ、そもそも演出で決まってるレベルかもしれないな。そしてそうやって出会った一人一人から大事な影響を受けてるのがまたいい。あの関西弁キャリアウーマンも、最初はただの無神経な人だと感じたけど(実際そうだけども)あの瞬間は、ただタカシが傷ついた、とかじゃなく、自分がマモルに支えられて生きてることや弟の愛に初めて気が付く重要な場面。そしてマモルにまっすぐ向き合ったから、マモルも兄がいつも自分を守ろうとしてたことに気が付けた。円周率の暗唱に挑む前、タカシとマモル、目を見合わせて頷き合うんですよね。あの瞬間、これから始まる闘いにタカシが挑むのは自分のためだけじゃない、マモルのためでもあるんだな、と今までの「マモルのため」とは違う、本当の意味でのマモルのため、でもあるんだな、と感じた。うーん、深い。回数重ねてようやく気付けた。

 

②。円周率の暗唱。タカシだけの挑戦じゃない、けれど、孤独な闘い。見えない世界の中で一人、強く闘っていた。999999を歩く恍惚かつ力強い姿。恐怖不安という名の闇が襲ってきた時も、タカシは決してひるまなかった。強く、強く、越えていった。そして、あの身体表現。もはやダンスではなく、身体表現。見えない何かと完全にシンクロしていたと思う。Twitterの感想で「(観客が)雷に打たれたみたいになってた」っていうのを見かけたけど、私もまさにそれだった。タカシが自分だけの見えない世界で躍動し出した瞬間、呼吸ができなくなって、息を呑んだままずっと見つめていた。あの瞬間、私は宇宙の神秘を見た。タカシは見えない世界の中で、確かに宇宙と繋がっていた。正直もう言葉に出来ない領域、人間がどこかで繋がりをもっているはずの崇高な次元の何か、第六感、心・魂の在る場所、そんな域に達していたと思う。びっくりした。超えていったタカシ。(ちなみに私は ここで上手く呼吸ができなくなってから終演後もしばらくずっと呼吸は浅く足元もおぼつかないままふらふらと帰路に着きました。)

 

あの円周率の暗唱成功がタカシの自信に、自己肯定になったのは疑う余地もないと思う。でも、あれだけすごい瞬間だったのにも関わらず、あの時間はタカシが「自分に打ち勝つことのできた」時間、というある種誰にでもある普遍的な瞬間でもあるわけで。不思議。こういった部分が、サヴァンについて描いてこそいるけど、人間の普遍的な本質について描いている作品だと感じる所以なんだろうな。

 

そうやって自分を肯定することができ、最後には思いっきり笑うことのできるようになったタカシが見られて、すごく幸せな気持ちだった。そう簡単にはいかないだろうけど、タカシにもきっといつか、「生まれてきて良かった」と思える時が来るのではないか、と信じられるような気がした。(生きてて良かった」とはまるで重みが違う言葉だと思う。このお話の全体的なイメージカラーは青のように感じるけれど(正確に言えばインディゴブルーになるのかもしれない)、こんなにも青があたたかい色に見えたのは初めてだったな。同時にとても美しくて神秘的な色だった。

 

 

円周率は永遠に終わらない、不完全な数字。この世は不完全なものばかり。

『不完全でいいんだよ』

と、登場人物たちだけでなく私たち観客までもを、タカシの好きな0(ゼロ)のように優しくまあるくあたたかく包み込んで、肯定してくれる、そんな、物語。

 

 

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本当はもっと考察したことしたいこと・感想がたくさんあるのだけれど、今回は「自己肯定」に論点を絞ってここまで。余裕があれば次も書けたらいいな。たくさんのテーマやメッセージが込められた作品だと感じるし、まだまだ気づけていないものもあるだろうとも思います。今からDVDが待ちきれません‼︎そして早くも再演希望! 

 

 

 

それにしても推しさん、平間壮一くんは本当にすごいな。素晴らしすぎる表現者だなあ。とんでもない人を推しとして応援させてもらっていると再認識したのでした…笑